クンチョウの歴史

scroll
  1. HOME
  2. クンチョウの酒づくり
  3. クンチョウの歴史

 伝統の継承 
クンチョウ酒造

101年(2020年現在)の歴史を歩んできた「薫長」。
酒のうまさと薫りに親しんでもらいたいという思いと、
末広がりに長く発展の道をたどっていけるように
と願いを込め名付けられました。
クンチョウの歴史を紐解くと、その原点は江戸時代まで遡ります。

江戸時代

酒蔵の継承

日田市豆田町で栄華を極めた千原家の酒蔵。

江戸時代、日田・豆田町に屋号を丸屋と称した千原家という掛屋がありました。

掛屋とは諸藩の公金出納にあたる、今でいう「金融業」に近い存在です。
日田の掛屋は西国筋郡代の保護のもと、公金を大名や商人に貸し付けて運用するなどして富を築いていきました。

日田有数の豪商として成長した千原家が手がけていた事業の一つが酒造業でした。
千原家が営んでいた丸屋酒造の土地・建物はクンチョウ酒造が引き継ぎ現在に至っています。

伝統の継承

城島~久留米~日田

もうひとつのルーツは九州を代表する酒造りの地、福岡県の城島町で現在も酒造業を営む
1745年創業の冨安本家酒造(株)です。※現在は(株)花の露に改組

そして、クンチョウ酒造の前身である久留米の冨安合名会社は
その歴史と伝統ある冨安本家酒造(株)の分家として1829年に創業しました。※2007年 廃業

当時の造り酒屋の多くは地主で、小作米の生産性をあげるために行っていたといわれています。
中でも久留米の冨安家は、久留米から大分県境まで他人の土地を踏まずに行けると言われたほどの
大地主だったようです。

明治25年

「千原家」と「冨安家」の縁

クンチョウ酒造の初代社長の冨安豊は明治25年、久留米の冨安家の4男として生まれ、
高校卒業後父親が営む会社に入社し家業に専念します。

事業は好調で、新たな拠点として日田を目指しました。
立地的に久留米に近く、また良質の水に恵まれ酒造業に適していると考えたのです。

一方、幕藩制度の崩壊により明治維新以降徐々に業績不振に陥った丸屋酒造は
ついに廃業を余儀なくされ酒蔵を手放さざるを得ない状況になっていました。

もとより冨安本家11代当主の長女が千原幸衛門に嫁ぎ、幸衛門の先妻の娘が冨安家に嫁ぐなど、
冨安家と千原家は非常に近い親類関係でした。

そのような縁もあって昭和7年、冨安合名会社は丸屋酒造の土地建物一式を買い取り
酒蔵とその歴史を受け継ぐことになったのです。

昭和15年

クンチョウ酒造の誕生

千原家から受け継いだ「丸屋酒造」の蔵は、当初冨安合名会社の日田醸造所として引き継がれ、
清酒「薫長」の製造をスタートさせます。

江戸時代から続く冨安合名会社の合言葉は「うまい酒造り」「酒質重視」です。

その精神を持ち、日田支店長だった冨安豊は昭和15年に独立したのち
「クンチョウ酒造」の前身となる「冨安酒造」を創業しました。

クンチョウ酒造の初代社長となった豊は品質を重視した酒造りにいっそう力を注いでいきます。

昭和30年

クンチョウ酒造の誕生とその歩み

千原家、冨安家の繋がりを受け継いだクンチョウ酒造でしたが、創業後まもなく大きな苦難に直面します。
戦中、戦後の非常事態です。

原料である米も配給制となり製造量も販売量も規制されたため打つ手なしの状況が続きます。

しかし、そんな厳しい状況の中でも品質重視という理念を崩さず、
水増ししたり米の精米歩合を落としたりした酒造りは一切しませんでした。

戦後の昭和30年代後半から日本経済は成長路線を歩み景気は上向きになりましたが
日本酒の売り上げ増にはつながりませんでした。

昭和27~28年ごろには120軒ほどあった大分県内の酒造業者は
昭和54年には約2分の1ほどにまで減っています。

酒類の多様化や人口減による飲酒人口減により日本酒にとって厳しい状況が続きます。

2代目の社長となった社長の誠一郎は厳しい経営の中でも
品質を落とすことなく個性ある酒造りを目指しました。

今では当たり前になった熱処理を行わず生の状態で出荷する生酒(なまざけ)の出荷なども積極的に行いました。
お客様とのご縁を大事にし、「飲んでみてうまかった」と喜んでもらえる酒造りに生涯をかけた人でした。

現在

これからも蔵を守り、未来へ

どんな苦境に立たされても品質と個性を大切にしてきたクンチョウ酒造は
たくさんの方々に支えてきていただきました。

現在は冨安誠一郎の長男である冨安宏が代表取締役社長を務め、その息子の亮太郎と大二郎が蔵人(造り人)として
熟練杜氏から技術を継承し、伝統を守りながらも個性ある酒を研究しながら酒造りを担っています。

クンチョウ酒造は日田・豆田町の歴史と共に歩んできました。
5棟の酒蔵を含む建物のすべては建築当初の状態で残っており今も大切に使用しています。

酒蔵の一部は酒蔵資料館として、豆田町を訪れる観光客の皆様に
少しでも酒造りを身近に感じていただけるよう公開しています。

酒蔵を守ることは地域を守ることでもあります。地道にコツコツと。
「伝統を守り、後世に残す」という企業理念の通り歴史を紡ぎ職人の技を受け継ぎ、
時代を見据え、時には革新も進めながら日本中そして世界中の人に愛される酒蔵を目指してまいります。

「酒蔵見学」並びに「バス駐車場予約」をご希望の方は、
予約申込書をメール または FAXでご送付ください

バス駐車場 予約申込書ダウンロード
クンチョウ酒造オンラインショップ
ページトップへ

【車でお越しの方】
高速日田インターから車で約5分。
駐車場完備※自家用車10台、大型バスも可(要予約)

【電車・バスでお越しの方】
・最寄り駅:
 久大本線 ・日田彦山線 『日田駅』から徒歩19分
・最寄りバス停:「上町通り」で下車して徒歩1分。