クンチョウ酒造の誕生
千原家から受け継いだ「丸屋酒造」の蔵は、当初冨安合名会社の日田醸造所として引き継がれ、
清酒「薫長」の製造をスタートさせます。
江戸時代から続く冨安合名会社の合言葉は「うまい酒造り」「酒質重視」です。
その精神を持ち、日田支店長だった冨安豊は昭和15年に独立したのち
「クンチョウ酒造」の前身となる「冨安酒造」を創業しました。
クンチョウ酒造の初代社長となった豊は品質を重視した酒造りにいっそう力を注いでいきます。
クンチョウ酒造の誕生とその歩み
千原家、冨安家の繋がりを受け継いだクンチョウ酒造でしたが、創業後まもなく大きな苦難に直面します。
戦中、戦後の非常事態です。
原料である米も配給制となり製造量も販売量も規制されたため打つ手なしの状況が続きます。
しかし、そんな厳しい状況の中でも品質重視という理念を崩さず、
水増ししたり米の精米歩合を落としたりした酒造りは一切しませんでした。
戦後の昭和30年代後半から日本経済は成長路線を歩み景気は上向きになりましたが
日本酒の売り上げ増にはつながりませんでした。
昭和27~28年ごろには120軒ほどあった大分県内の酒造業者は
昭和54年には約2分の1ほどにまで減っています。
酒類の多様化や人口減による飲酒人口減により日本酒にとって厳しい状況が続きます。
2代目の社長となった社長の誠一郎は厳しい経営の中でも
品質を落とすことなく個性ある酒造りを目指しました。
今では当たり前になった熱処理を行わず生の状態で出荷する生酒(なまざけ)の出荷なども積極的に行いました。
お客様とのご縁を大事にし、「飲んでみてうまかった」と喜んでもらえる酒造りに生涯をかけた人でした。
これからも蔵を守り、未来へ
どんな苦境に立たされても品質と個性を大切にしてきたクンチョウ酒造は
たくさんの方々に支えてきていただきました。
現在は冨安誠一郎の長男である冨安宏が代表取締役社長を務め、その息子の亮太郎と大二郎が蔵人(造り人)として
熟練杜氏から技術を継承し、伝統を守りながらも個性ある酒を研究しながら酒造りを担っています。
クンチョウ酒造は日田・豆田町の歴史と共に歩んできました。
5棟の酒蔵を含む建物のすべては建築当初の状態で残っており今も大切に使用しています。
酒蔵の一部は酒蔵資料館として、豆田町を訪れる観光客の皆様に
少しでも酒造りを身近に感じていただけるよう公開しています。
酒蔵を守ることは地域を守ることでもあります。地道にコツコツと。
「伝統を守り、後世に残す」という企業理念の通り歴史を紡ぎ職人の技を受け継ぎ、
時代を見据え、時には革新も進めながら日本中そして世界中の人に愛される酒蔵を目指してまいります。